難解な言葉で「形而上学と形而下学」

以前にちょっとこぼした「経営者向けセミナー」で出た話題で・・・


『形而上学と形而下学』

書物について その形而下学と形而上学 - 清水 徹
書物について その形而下学と形而上学 - 清水 徹

哲学の話です

簡単な言い方をすれば「形の無いものを考える」ことなのですが、アリストテレスが「第一哲学」として著書に記した物です
(本のタイトルが「形而上学」だった)
「形、しかして・・その上は・・」という意味で「形而上学」となります

某経営者向けセミナーで「形而上・形而下」として解説されましたが、内容が完全に間違っていて・・・「何を言ってるんだろう・・・」と思いました
そのセミナーでは形而上学のことを「一元論」で形而下学のことを「二元論」だと説明していましたが、私が大学で学んだ時は上記のような説明です
どうせ誰かが格好つけて難しい言葉を使って、そのまま勘違いして続いてきた、というところでしょう
(ちなみに、その話題は幕末の長岡藩の河井継之助の思想についてでした
で、河井継之助は「陽明学」を学んでいて、その陽明学が「一元論」だったのがこの勘違いの原因でした)

河井継之助は置いておいて・・・


「形而上学」が考えられたのは、哲学で物事を考えていくと、物体、色、温度、月日や時間、行動などと分類できていきます
ですが、『分類できない物』というものもあるのです
それが、「考えること」(思考)であったりします
人の意識(魂?)とかは、どこから来て、死んだらどこに行くのか、など
それらが「神の領域」として考えられて、アリストテレスが考えたのが、「究極の存在(不動の動者)が世界を動かしている」ということでした

これが「形而上学」となります


たまたま・・・昔のことを思い出して・・・
難しいことは難しいのですよね

ギリシャ哲学 アリストテレス『形而上学』: アリストテレスの考える本質とは何か - 折居嶺清
ギリシャ哲学 アリストテレス『形而上学』: アリストテレスの考える本質とは何か - 折居嶺清

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